Buenos Airesからおはよう!こんばんは!

Hola お久しぶりです、Cocoです☆

ほとんどの方には忘れられたかと・・・ははは。

日本では気候にくわえ、節電のために大変暑い夏となっている様子ですが、皆様いかがおすごしでしょうか?

こちらブエノスアイレスは南極寒波の影響で極寒が続いております!!

写真を撮るたびに、カフェティンにアップを...と思っていたのですが、

私のカメラとPCの相性が悪く、なかなか取り込めなくて。

ですが、友人がちょうどいい写真を撮ってくれているのを発見!!

それを拝借してようやくのブログ更新とさせていただきます☆

さて、ワタクシCocoブエノスアイレスに来て2ヶ月半となりました。

で、今更ですが、ようやく昨日、初めて観光しました!

じゃぁ、この2ヶ月なにしてたんだよってね、本当・・・

先週から通い始めた学校に、無料の市内観光のオプションがありまして、

初めて参加してきました。

記念すべき最初の観光地は La Boca ボカ地区です。

おそらくtanguelo/-asの皆様にとって一番思い入れの深い地区ではないでしょうか?

というわけで、きちんと報告せねば!と、俄然Cocoも気合が入りました。

今からレポートさせていただきますが、今回のガイドさんは社会学専攻の人で、

歴史や文化の説明が中心で、タンゴの話はあまりなかったので、退屈だったらごめんなさい!

また、なにゆえ私のスペイン語能力で聞き取った限りの話ゆえ、

間違い等気づかれた方は教えてくださいませ!

ブエノスアイレスFed­eral Capital連邦首都地区(東京23区みたいなものでしょうか)

南端に位置するLa Boca地区

タンゴ発祥の地として知られるこの土地は、同時にブエノスアイレスの歴史の始まりの地でもあります。

観光客にとって、ボカといえばやはりcaminitoカミニートですが、

ボカの歴史の舞台であるpuerto港から観光は始まりました。

1800年代、アルゼンチン政府は労働力確保のため、

当時大不況下にあったヨーロッパへ対し、渡航費無料の移民券を発行しました。

これにより、イタリア・ジェノバを中心に、ヨーロッパの各地から、約600万人が移住し、

その約半分がそのままアルゼンチンに定住しました。

移民たちは到着後一週間だけ、無料の宿泊施設を与えられ、

その後、富裕層はサンテルモへと居住地を得ていきましたが、

ほとんど野放し状態となった労働移民たちは、当時の産業の中心である港に集っていきました。

さて、caminitoへ移動です。

カミニートの家々は、とてもカラフルに彩られているのが特徴です。

この建物にも、歴史は深く関わっています。

ブエノスアイレスのほとんどの歴史的建築が石作りなのに対し、

ボカ地区の建物は木材と鉄材の組みあわせで立てられています。

それは、移住者達が、船の廃材を利用したからです。

当時は一部屋に一家族、一軒に7~8家族が同居していたそうで、

毎日港から、廃材を持って帰ってきては、建て増しを繰り返しました。

しかし、廃材である木材と鉄材は、建築素材としてはかなりもろく、それを補強するには、塗装が必要でした。

しかし、その塗装料は非常に高価であり、買うことはできませんでした。

そのため、彼らは町中から「余り」の塗料を集めてきました。

これは当時のブエノスアイレスの貧民区では当たり前にされていたことで、

通常、集めてきたペンキは一箇所にどんどん貯めて、全てを混ぜて使っていました。

ていうことはつまり、どういう色に統一されていったか...ドドメ色、という感じでしょうか。

が、カミニート住民は、ココが違った!

彼らは、それぞれの色を、そのまま使って、コラージュしていきました。

芸術と呼ばれる域に達するまで。

タンゴを生み出したこの土地には、不思議と芸術的な感性を磨く何かが出ているのでしょうか?

やがて、ここには多くの画家や芸術家が集まるようになり、

Ben­ito Quin­quela Martínキンケラ・マルティンを初め多数の有名人を輩出しています。

現在も、たくさんの美術学校生や舞台作家、俳優達が暮らしているそうです。

この地の物価が格段に安い、という理由もあるとは思いますが(^^)

何か惹かれるものがこの場所にあるのも納得できます。

タンゴだけではなく、クンビアやカンドンベが鳴り響く古い町並みは独特の魅力を感じました。

また、ボカ地区は 大変危険!! というイメージが行き渡っておりますが、

それは違う、とガイドさんはしきりにおっしゃっていました。

たしかに、スリ・置引きは他地区に比べて圧倒的に多いけれど、

重犯罪はそれほど多くない、とのことです。

危険地域だとう風評があまりに流れてしまい、

ボカ地区で夕食を食べたり、宿泊したりする観光客がいないため、

Caminitoという素晴らしい観光資源がありながら、観光収入は非常に低いそうです。

ただし、住民の意識も余所者には開かれていないのがボカの特徴で、

身内魂が非常に高いことでも有名だそうです。

それが一番よく現れているのが  Boquence  ボカ住民 という言葉だそうです。

ブエノスアイレスっ子を指す porteñoポルテーニョ はとても一般的な言葉ですが、

それ以上の地区を指す言葉は、このBoquenceだけ。

例えば有名なRecoletaにもPalermoにも、どの地域にもない特別な言葉だそうです。

で、ワタクシ、この辺で集中力が途切れてきて、

以後しばらく何を聞いていたか思い出せないのですが...

たしか、

1870年代に、ボカ地区を中心に黄熱病が大流行してしまい、

その際に金持ち達はどんどん上のほうに避難していき、だから今、

Reco­leta レコレータ→Palermoパレルモ→ Bel­granoベルグラーノ→ Olibosオリボス

っていう感じでセレブ地域が出来上がっていったとか、なんとか。

 

で!!もう一つ、ボカ地区で忘れてはならないのが Boca Juniors!

ここで、シャッキリ目が覚め復活!!

昨日までCopa Amer­icaアメリカカップだったため、オンシーズンではなかったのですが、

やっぱり嬉しかった!

おぉ、本物のボカスタジアム!!

といっても、この日は中に入れず。後日必ず観戦に来るぞ、と心に近いました。

Fut­bolフットボールは、イギリス移民により持ち込まれたため、今もほとんどのクラブチーム名は英語です。

ここで豆知識二つ。

まずは、このボカジュニアのチームカラーAzul y amarillo青と黄 はどこから来てるでしょうか?

ヒント もしブラジルだったら、緑と黄色になっていたわね♪というガイド談

はい、答えは国旗です。

クラブ設立当時の1900年代、ボカの港には国旗を掲げたスウェーデンからの船が多数寄港していて、

次第にチームカラーとして採用されていったそうです。

そして、もうひとつ。

ボカジュニアは、日本で言えば阪神タイガース。

そして、阪神あるところには巨人あり。

その巨人に当たるのが、River Plateクラブ・リバ・プレートです。

このRiver Plateのチームカラーは白赤。

日本の国旗??って聞いたら、違うと冷たく一蹴されましたが。

さて、ここで一つ、困った企業が

Coca Cola~

敵チームにそっくりな宣伝されてたまるか!!というクレームが付いてしまいました。

その為、今現在ボカスタジアムのCocaColaの宣伝は、黒字に白です。

上の写真のスタジアムの縁にその広告が並んでいるのですが、見えますか?

というわけで、豆豆知識でした。

ちなみに、この地域のサッカー人たちは、靴を限界まで履き潰し、ボロッボロになったら、

二つを靴紐で結び付けて、電線に引っ掛けるそうです。

町中の電線にスニーカーがひっかかっているので、よかったら見つけてください。

サッカーが上手くなりますように、という願掛け?と聞いたら、

たんにそうしたいだけ、との返事でした。

面白かったけど、すごく寒かった観光、たった3時間だったのに、クタクタに疲れました。

来週からまた色々な地区に行くと思います(^^)

もう少し、タンゴにちなんだ話題を...心がけます。

Coco

posted by : Coco

バー担当。ほんわか癒しキャラ。日本語みたいなスペイン語をしゃべります。Read more…

“Buenos Airesからおはよう!こんばんは!” への1件のコメント

  1. まゆまゆ より:

    Cocoちゃん、

    お久しぶり~!元気そうでよかったわ(^^)
    渾身のブエノスレポート、ありがとうございました。アルゼンチンには行ったことがなく、タンゴの知識もあんまりないので、とっても興味深く読みました。
    そっちは寒いのね。体に気をつけて、毎日を楽しんでください。

    次回レポートも楽しみにしています。

コメントをどうぞ